エンリカス・ドートリッヒの殺害方法は、幼い頃レクター城で飼われており第二次大戦の戦火も生き延びた馬シーザーに首を引きちぎらせるという方法で行われた。1951年、ハンニバル・レクター18歳の頃である。
殺害後ハンニバルは頬肉を切り取り、バーベキューにして食べている。
初めて味合う肉
ハンニバルは初めてここで人肉を食する訳であるが、この経験がその後の嗜好パターンを決定的にしたと思われる。
しかし食べ方は調理道具も持ち合わせていなかったためかまだ未熟で、後の本格的フレンチではなく、近くに自生していたアミガサタケと一緒に串焼して食べたのであった。
改めてポピール警視の注目を引く
この事件はリトアニアで起きた事であるが、調査の結果エンリカス・ドートリッヒが第二次大戦中の戦犯であったため、戦犯を追跡していたポピール警視に知られることとなる。
ポピール警視は同じ戦犯であるポール・モマンが5年前に殺害された時と酷似した状況から、直感的にハンニバル・レクターが犯人と見抜いてしまう。
しかしながら今回の事件は他国のリトアニアでのことであり、直接調査することはできなかった。その代わり、ハンニバルの保護者である紫夫人の元へ行き、ハンニバルが戻ってきたならば連絡をするように伝えたのである。