13歳から成人するまでの間を日本人というヨーロッパとは異なる文化圏をベースに持つ紫夫人と過ごしたことは、もっとも多感な時期のハンニバルにとって最良とはいえないまでも、悲惨な妹ミーシャの記憶と正面から向き合える精神的強さを養うことには成功したのではないだろうか。
結果的にハンニバルは紫夫人でさえ開放できなかった深い心の闇を持ったままその後を生きるわけであるが、心の平安を得ることができたのは紫伯爵夫人のおかげといってもよいと思う。
東洋的教育環境が精神の安定をもたらした
紫伯爵夫人がハンニバルに対して行ったことは、結果的には心の扉を開くことにはならなかったが、少なくともハンニバルをただの冷徹な殺人マシンにすることだけは防げたのではないだろうか。
2歳のころから本を読むほど知的能力に優れていたハンニバルが、もしその能力を最大限発揮しなくともついて行けるような教育環境に置かれていたとすれば、有り余る能力をどの方向に向けたであろうか?
6歳ですでに影の長さを利用してレクター城の塔の高さを計算したほどの知性である。
一般人のレベルの教育ではハンニバルは何の努力もせずに理解していたであろう。行き着く先はとてつもない傲慢な精神の持ち主となっていた可能性がある。
紫夫人により、生け花、絵画、琴、詩などの東洋的な芸術方面に触れる時間が成人になる前のハンニバルには十分与えられたおかげで、かろうじて内に秘めた残虐性とバランスをとることができる精神構造を築き上げることができたのだと思う。
これが西洋的教育環境であったならば、ハンニバルにとって何の造作も無く吸収し、内に秘めた感情はさらに硬くほぐしがたいものになったと想像できる。
その結果はただの頭でっかちの偏執狂的精神構造を作り出し、我々が知っているハンニバル・レクターとはまったく異なる殺人者を作り上げたかもしれないのだ。