もともと病気であったレクター伯がポール・モマンが紫夫人を侮蔑した件が原因でなくなった後、残された紫夫人とハンニバルは、外交官であった紫夫人の父親が以前住んでいたパリに移り住むこととなった。
そこでハンニバルはリセに通うこととなり、一人学校の寄宿舎生活を始めるのである。
絵の才能を開花
リセでの授業でハンニバルは絵の才能を開花させたようである。
独自の記憶方法により通常の授業では抜群の成績を収めることができたが、絵を描く才能も大変なものであった。
学業優秀で絵の才能も抜きん出ていたため、ハンニバルは最初の一年で3回進級している。
翌年には、紫夫人の影響で習った習字の技術を生かし、宮本武蔵の水墨画の画風を真似た作品を描くまでになっており、画商に売ることにより生活費の足しにしていたのである。
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かつてレクター城にあった絵画との再会
ある日ハンニバルは書いた絵を売る画廊で、かつてレクター城にあった略奪されたグアルディの絵を見つける。
それは「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の眺め」であった(確実ではありません)。
レクター城から略奪された絵の情報をポピール警視に伝えたことにより、さらにベルナルド・べロットの「溜息の橋」も略奪者の手から開放することができたのであるが、この絵はハンニバルにとって妹ミーシャとの忘れがたい悪戯の思い出が残っていた作品である(今ではその痕跡は闇の画商アレック・トレブローにより消されている)。