ハンニバルはリセに通っていた13歳頃、解剖の授業でカエルの解剖図を書いている。
このカエルの解剖図はレオナルド ダ・ヴィンチの有名なウィトルウィウス的人体図風に描かれており、内臓器官は線影をつけて描かれていた。
<レオナルド ダ・ヴィンチ ウィトルウィウス的人体図>
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そのあまりに完成度の高いスケッチに目を留めた当時のビヤンヴィル先生が、医学校のデュマ教授に見せたことから医学の道へ進むきっかけとなったのである。
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デュマ教授の支援により医学の道へ進む
医学校の解剖学の教授であったデュマは優秀な解剖学者であったが、画家ではなかった。
彼は16世紀の解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスが遺した偉大な解剖図譜「ファブリカ(人体の構造について)」を聖なる遺物とみなしており、戦争の影響で原本の木版画が焼却されたことに大いなる悲哀と怒りを感じていた。
デュマ教授は何とかしてヴェサリウスの偉業を継ぐ解剖学の図譜を出版しようとしていたのである。
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リセのビヤンヴィルから若きハンニバルの描いたカエルの解剖図を見せられたことは、デュマ教授にとって思いもよらない幸運であった。
それ以降、彼はハンニバルの成長を影ながら見守り、医学の奨学生となるように手を差し伸べたのである。
医学生になってからのハンニバルの優秀さは教授の期待を上回るものであり、アルバン・ミッシェル社から出版する解剖書の図譜を任せたのみならず、グルータス一味の殺害容疑で拘束されていたハンニバルに対し釈放の請願書を提出し、さらにアメリカのボルティモアにあるジョンズ・ホプキンス医療センターでインターン生となる道を与えたのである。
フランスにとどまっていては医学の道へ進むことはほとんど絶望的な状況であったため、インターンとしてアメリカに渡る機会を与えられたことは、ハンニバルにとっては願ってもないことであり、その後の彼の人生の方向性を決定づけたと言ってもよいと思う。
デュマ教授はハンニバルの命の恩人にも等しい存在である。
コメント (1)
トラバありがとうございます。
レクターのこと、お好きなんですね!!
私は、チルトンやヴァージャーといったやられ(?)キャラも、魅力的で活き活きと描かれていて好きです。
投稿者: たちばな ますみ | 2007年06月21日 23:02
日時: 2007年06月21日 23:02