ポール・モマン:最初の犠牲者
ポール・モマンは孤児となったハンニバル・レクターを引き取り、戦火で凍り付いた心を癒そうと尽力していた叔父の妻を侮蔑したために最初の犠牲者となってしまった。
ポール・モマンの殺害事件自体はモマンが第二次大戦中の傀儡政府ヴィシー政府の支持者であったため、住民の間では特段の話題にはならなかった。
怪物と呼ばれた医学博士ハンニバル・レクターについて、生い立ち、嗜好、関係者などをトマス・ハリスの原作小説を基にまとめた資料室です
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ポール・モマンは孤児となったハンニバル・レクターを引き取り、戦火で凍り付いた心を癒そうと尽力していた叔父の妻を侮蔑したために最初の犠牲者となってしまった。
ポール・モマンの殺害事件自体はモマンが第二次大戦中の傀儡政府ヴィシー政府の支持者であったため、住民の間では特段の話題にはならなかった。
ポール・モマンとハンニバル・レクターの出会いは毎週木曜日に開かれる村の市での事であった。
八百屋のビューローの店からぜんまいを仕入れる紫伯爵夫人に同行したハンニバルであるが、ブランデーを引っ掛けながら鶏肉を裁いていたポール・モマンの叔母を侮蔑する一言で注意を向けたその瞬間、ハンニバルは忘れ得ない妹ミーシャを殺害した一味の首謀者の風貌をその中に見いだしてしまったのである。
この事件の衝撃的なところはハンニバル・レクターがまだ13歳であり、しかも衝動に駆られた行動ではなかった事であったことであろう。
ハンニバルは殺人の直前までマモンの殺害後の処置について冷静にスケッチブックに書いており、殺害直前のモマンに見せている。その状態とは首を切断し、皿の上にさらすというものであった。
この瞬間こそ「怪物ハンニバル・レクター」の誕生した時ではないだろうか。
モマン殺害の後ハンニバルはその首を住まいの屋根裏部屋に運んでいるが、紫夫人に発見された時はすでに両頰の肉はきれいに削ぎ取られていた。
ハンニバルがモマンの頰肉を食した記録は残っていないが、頰肉はどこに行ったのであろうか?
遊哉様、TBさせていただきます。
ハンニバル・レクターというトマス・ハリスが作り上げた稀有な人物についてのブログを立ち上げたNAOと申します。
ハンニバル・シリーズについては非常に長い期間継続(レッドドラゴンは1981年発刊)しているのにも関わらす、終始一貫して書かれており、調べ甲斐のある題材ですね。
ところで遊哉様はいつの時点がハンニバルが「怪物」となったとお考えでしょうか?